【竹中半兵衛の弟】知勇兼備・竹中久作【太閤立志伝5DX武将解説】

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その高すぎる自由度から熱狂的ファンの多いコーエーテクモのゲーム、太閤立志伝5。
2022年にリマスタリング版「太閤立志伝5DX」が発売された折には、歓喜した人も多いのではないでしょうか。

かく言う私も当時は戦国の世に没頭していたわけですが、あの熱狂が落ち着いた今、ふと振り返ると、新しく追加された武将たちの中にはあまり馴染みのない顔もちらほら…。

というわけで、「太閤立志伝5DX」の新規追加武将たちを知ってる人も知らない人もまとめて再確認していきたいと思います。
もちろんゲーム未プレイでも全く問題ないですよ!

では、さっそくやっていきましょう。初回はこの人!「竹中久作」!おなじみ竹中半兵衛の弟さんです。

久作兄はおなじみ戦国最強軍師「今孔明」竹中半兵衛!

太閤立志伝5DX 竹中半兵衛

おさらいするまでもないかもですが、一応、お兄ちゃんの半兵衛さんの略歴をざっくりと。

竹中半兵衛(1544~1579)、斎藤家臣として

  • 名は重治。父は美濃斎藤氏の家臣・竹中重元。1544年(天文13)生まれ。
  • 1556年(弘治2):長良川の戦い(斎藤道三方)で初陣。
  • 1560年(永禄3):家督を継ぎ、菩提山城主に。
  • 1561年(永禄4):主君・斎藤義龍、死去。
  • 引き続き、跡を継いだ息子の龍興に仕える。

稲葉山城乗っ取り事件(1564年)

  • 織田信長による美濃への度重なる侵攻。
  • 主君・斎藤龍興の不行状。
  • これらの影響で、斎藤家中には動揺が広がっていた。
  • 1564年(永禄7)2月、半兵衛と舅・安藤守就が稲葉山城を急襲し、一時占拠。
  • わずかな兵での堅城・稲葉山城の奪取は周辺諸国に衝撃を与え、竹中半兵衛の名が広まる。
  • 半年後、龍興が稲葉山城を奪還。半兵衛は下野し、隠遁生活に入る。

織田信長・豊臣秀吉との関係

  • 1567年(永禄10):織田家の攻撃で旧主・斎藤家滅亡。
  • 織田信長から出仕の誘いを受け、織田家に仕官。木下秀吉の「三顧の礼」に心を動かされ、信長ではなく秀吉の家臣となったとも。
  • 主に調略(裏工作)方面で活躍。姉川の戦い(1570/元亀元年)など。

中国攻めと晩年

  • 1577年(天正5):羽柴秀吉の中国攻めに従軍。黒田官兵衛とともに播磨福原城攻略。
  • 明石景親(明石全登の父)と通じて備前八幡山城を投降させるなどの功績で、信長からも称賛される。
  • 1579年7月6日(天正7年6月13日):播磨三木城包囲中に病死。享年36。

そんな竹中半兵衛の弟、竹中久作。彼はどんな人物だったのでしょう。

弟も知勇兼備の名将!でも死期まで似なくても…。

太閤立志伝5DX 竹中久作

竹中久作は半兵衛の2歳年下の1546年生まれ。名は重矩。兄が名を上げた稲葉山城乗っ取り事件に彼も関わってきます。

1564年(永禄7)、2月。竹中半兵衛とその舅、安藤守就が、わずかな手勢を率いて、白昼堂々、斎藤龍興の居城、稲葉山城を急襲。佞臣、斎藤飛騨守ら6人を討ち取り、主君、龍興も追い出して、城を占拠したのです。

この事件で半兵衛は、「病の弟の見舞い」と称して城に侵入しますが、この時の自称・病気の弟、というのがこの久作。人質として稲葉山城にいたようです。
半兵衛とその手勢たちは、彼の部屋で武装し、事を起こしたと言われています。

1567年(永禄10)、斎藤家が滅ぶと彼も兄と同様に織田家に仕えるようになります。

1570年(元亀元年)、姉川の戦いが勃発。織田・徳川軍は浅井・朝倉軍を激戦の末、打ち破りますが、ここでヒヤリとする事件が起こります。

浅井勢が総崩れの中、浅井家の重臣、遠藤直経が味方の首をぶら下げ、織田方武将のふりをして、織田本陣内に侵入してきたのです。

遠藤は首実検の際に信長に近づき、彼を暗殺する計画を立てていました。
実際にあと少しというところまで進み出たようですが、それを阻んだのが、竹中久作でした。

竹中兄弟は例の稲葉山城乗っ取り事件のあと、織田家に仕えるまでの間に、浅井家の世話になっていた時期があり、遠藤直経と顔見知りだったのです。

へいちゃん
へいちゃん

久作は以前から「遠藤を討ち取る」と公言していた、という話もあります…。なにか遺恨でもあったのでしょうか…?
まぁ、経緯はさておき。遠藤は決死の賭け敗れ、久作に討ち取られてしまったのでした。

その後、1579年(天正7)に、亡くなった兄の代わりに秀吉の与力に。1582年(天正10)3月には、武田征伐に向かう信長に従って、信濃に出陣しています。
しかし同年6月、本能寺の変の後、美濃で発生した郷士一揆と戦って無念の討死…。享年37。

まとめ

  • 竹中久作(竹中重矩)(1546~1582)。兄は竹中半兵衛(竹中重治)。
  • 兄が名を上げた「稲葉山城乗っ取り事件」の功労者。
  • 姉川の戦いで、浅井家の重臣、遠藤直経を討ち取る功を立てる。
  • 織田家の武将として各地を転戦するも、本能寺の変後、一揆に敗れて討死。

病死と討死という違いはありますが、どちらも働き盛りの30代で亡くなった竹中兄弟。武功を上げ続けている中での死で、とても残念ですね。せめてゲームではもっとたくさん、長く活躍させてあげたいところです。

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